映画のフィルムって一枚一枚の写真を巻にしたもので、それを一秒に24マイのスピードで見せられると動いているように見えるものです。
基本的に、前のコマってのは過去を表し、まだ見ていないあとに来るコマは未来を示します。
なに当たり前のこと言ってんの?と思われるかもしれませんが、
過去と現在を編集で入れ替えるような作品以外は、
時系列順にコマはならんでいます。
漫画の場合はどうでしょうか?
古典的なマンガは、このように視線を動かしていけば
絵巻物のようにページの上を時間が流れています。
ただしかし、マンガのコマの構成は、戦前の『のらくろ』のように単調なものではなく、
このパターンが多用されます。
こうなると、どの順序で読んだらいいのかと、なれない人の場合は戸惑ってしまうのではないでしょうか?
マンガ読めない高齢者って結構いますし、外人で読めない人も結構います。
その理由の一つが、このコマの順序なのでしょう。
慣れている日本人にとっては、
この順番で読めば オーケーとなるんでしょうけど、
実際はそんなに単純な問題でもありません。
つい、このように視線動いてしまいません?
例えば、このマンガですが
左ページの縦に並んだ四コマ律儀に読んでから、その四倍の面積のコマ読み始めます?
セリフのフキダシはともかくとして、
縦に並んだ小さいコマ、ちまちま読み進める前に、どうしても桜木の「すげー、満点だよ。やればできるじゃん」ってコマが目に飛び込んでくるでしょう?
この大小あわせていつつのコマには一応時系列が存在するはずなのですが、
実際的に読者がどのようにこのページに関わっているかということを考えると、
時系列がグチャグチャになっているんですよ。
縦のコマと横のコマを交差させられると、こういう読み方ついやっちゃうんですよね。
今があって、少し先の未来があって、そのあとに今より少しだけ先の未来がある。
もしくは、現状があって、結果があって、そこに至る道筋が見えてくる、
それが、現実のマンガの読まれ方なんですわね。
ドラえもん12巻ですが
ページを開くと、普通の人にとっては、一番大きく描かれたコマが最初に目に飛び込むんですよ。
それから、常識に従って、コマについているフキダシを読んでいくことになると思うんですが、
右ページで言いますと、まず、ガチャガチャ動いている鎧を私たちは見てしまいます。
そこで、既に何か不吉なことが起きていることを察知するのですが、
それが何ゆえに起こっているのかという説明が、本来先に読まれる部分でなされます。
つまりこの鎧とは、幽霊だという説明ですが、
映画の場合だと、進行方向の切り替えによ、って、観客にこれからよくないことが起こると予感させるのですが、
マンガだと、実は、先に未来を見せてしまうことで、読者に未来の予想図としての伏線を与えてしまっています。
これははっきり申しまして、小説の伏線のあり方なんて全く問題にならないほどのラディカルな伏線の貼り方です。
さらに申しますと、マンガってのは、
ページ開いた時に、そのページの一番最後のコマまで、自然と目に飛び込んでくるもんなんですね。
だから、本当に場面が一変するようなコマは、次のページに持ち越されることになります。
この場合だと、トビオが死ぬコマは、次のページまで伏せられています。
手塚治虫は、それまでのフクちゃんとかのらくろのような絵巻物の延長にある漫画のコマの構成を、映画の手法を取り入れることで今の形に持っていった人物であると私は思っていますが、
この手の縦横交差の構図を大量に持ち込んだのは多分彼が初めてなのではないでしょうか?
右側のページでは、縦に三つコマが並びます。さっそうと未来の浮遊自動車をドライブするとビオですが、
三つ目のコマで、車の向きが転換しています。
これは典型的な映画の手法で、
このようにコマを並べられると、
車が方向転換したか、、もしくは、それまでの順調だったドライブがなにか悪い方向に向かい出したかのどちらかに思われてしまいます。
そして、左ページの縦長のコマ。
「キュー」という擬声音に釣られるように読者の視線は一番下まで降りてしまいますが、
その際に、どうしても、私たちは、迫ってくるトラックのコマよりも先に、
絶体絶命の表情のトビオのアップが目に入ってしまいます。
彼が窮地に陥ったことをあらかじめ分かった上で、視線はもう一度上の方に戻り、小さなコマをよっつずつ上から下へと見下ろしていきます。
?トビオは危険な状態になっている。それはどうしてか。
?トラックが迫ってきたからだ
?それに対して彼は対処できなさそうだ
?さらにトラックが近づいて、
?もうトビオはダメかもしれない
このように小さなコマは四つしかないのですが、実質五つ分読まされることになるわけです。
伏線の効果ですが、
もしあなたが明日死ぬことが分かっているとしたら、怖いでしょう?
もしあなたが明日死ぬことを知らなかったとしたら、死ぬ間際まで何も恐れないでしょう?
死ぬは一瞬ですが、そのことをくよくよ妄想することが恐怖と狂気を招来するのでして、
このようなシーンを盛り上げるには、伏線というかフラッシュバック的な技法がどうしても入用になります。
マンガはタテヨコのコマを交錯させることで、視線の流れを心地よいものにし、楽しいリズムを生み出していると思われていますが、
それと同時に、紙面上で飛び跳ねる視線というのは、読者がマンガの中の時間の中れを自由に飛び跳ねる如く行き来していることと同義なのかもしれません。
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「マンガの見方」 むしろマンガの方が面白いと思うようになりまして、
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